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桃源郷の炭窯づくり

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北茨城市の山間部、揚枝方。周りは自然に囲まれた何もないところ。しかし何もないと言っても、真っ白でも真っ黒でもありません。むしろ生きるために必要なものがすべて揃っているのです。今回は、炭窯の再生を通じてそんなことについて記録しておこうと思います。

築150年の古民家ARIGATEEを再生したことをきっかけに地域の方々との交流から、この土地の歴史物語を聞くようになりました。そこには、自然と共にある日本人の暮らがありました。牛や馬がいて、土手はどこも綺麗に刈り込まれ、川にはヤマメや岩魚、田んぼにはどじょうやウナギ。山には山菜やキノコが採れる。子供たちは親の手伝いをしながら自然の中で育ったそうです。そんな暮らしの姿がお年寄りの話から浮かんできました。それはほんの60年、70年前の話。

つまり、里山と呼ばれる場所には、何もないのではなく、現代人がそこにある木や植物の役割や名前を忘れてしまっているだけなのです。そんなモノのひとつ、壊れた炭窯がこの地域にあります。この炭窯を復活させてみたら、それはどんな体験なのか。そんな興味を持って炭窯を観察していると、なんと炭窯を再生するプロジェクトが始まったのです。地域と公共とアートが入り混じる桃源郷だから起きるミラクル。

日本では、炭は30万年前の遺跡から発掘されていて、炭を作るようになったのは一万年前程とされています。それほど長く日本人は炭を利用してきたのです。第二次世界大戦前後は、木炭は石炭とともにエネルギーの中心的な役割を担っていました。この揚枝方地区でも農家の人たちは冬になると炭窯で炭を作りました。兼業ではなく、山に入って専門的に炭づくりを仕事にした人も多かったそうです。ぼくが観察していた壊れた炭窯は、東日本大震災で壊れたそうで、つい最近までこの地域では炭が作られていたそうです。

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2020年5月から炭窯の再生が始まりました。炭窯を作ったことのある有賀さん、松本さんを中心に進められました。まず木を倒して、炭になる薪をつくります。必要な長さに薪割りをします。薪を用意したら、窯づくりです。窯に適した土を運んできて、土と水と混ぜて泥をつくります。それを積み重ねて壁にします。炭窯の枠ができたら、薪を詰めて窯のカタチに木を並べて、土を叩いて天井を突き固めます。そうして、火をつけて窯の中の木を燃やします。窯を燃やしていると、天井にヒビが入って落ちてしまいました。炭窯の再生に一ヵ月ほど掛けて、残念ながら失敗してしまったのです。

11月。再び炭窯再生に取り組みました。メンバーに若い頃父親と炭焼きをやった緑川さんが加わりました。前回の反省を活かして、新しい炭窯を作ることにしたのです。そして一ヵ月ほど窯づくりをして、火をつけて焼いていると、、何とまた窯の天井が落ちてしまいました。

すべて自然のエレメント、土、水、火、風、木、で作られる炭窯と炭。すべては経験と勘なのです。失敗を重ねる毎に、炭づくりの魅力を感じるようになりました。炭を焼くために木を伐り倒すことは、周辺環境を把握すること。次はあの木を倒そう、とか、そのために草を刈っておこう、道を作っておこう、という具合に自然のなかへ暮らしが溶けていくのが分かります。

人類が何万年もしてきた行為です。そこにはそれだけの理由と意義があるはずです。炭窯再生は2回も失敗しましたが、仏の顔も三度まで。二度あることは三度ある。悪くも良くも周りに何と言われても、プロジェクト・チームは、次こそは完成させるとヤル気になっています。70代、80代の先輩から学ぶ古の知恵。自分が80歳になっても薪割できるほど元気でいるという目標もできました。

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またこの場を借りて報告します。
(続)

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